約10日間、仕事もせず、過ごしていました。
やっと、読みものや書きものが進むようになって、思うのは、意外といつも頭をつかっていたみたいです。
頭が使えないと、進まないことがあることを知りました。
呂律が回るようになって、意外といつもはキレのある返しやトークをしていたのか、とか。笑
一人で横たわっていると、病院の人たちに「今日は家族の人は?」「お一人ですか?」「何かあった時に連絡取れる人はいますか?」と何度も聞かれて、はぁ、家族っていうのは、だから家族なんだなぁと思いました。
でも、ちょっとやばい事があったら、家族には言いません。落ち着いてから、もしくは時効がきてから言うかもしれません。
こんな、点滴して寝てる姿をみただけで彼らはめっちゃ心配するんだろうな〜とか思うと、どうせ治るんだし言わなくていいやと思います。
で、これはきっと将来、私が妊婦になったとしても、こうなるんだろうなぁ〜と予想する機会になりました。
一人暮らしの高熱が大変、みたいにすごく言われましたが、むしろ私は気楽でした。
というか一人暮らしほど快適な闘病生活はないのではないでしょうか。
(いや、周りの方々は心配のお声がけをしてくれてるだけなのはわかってるけど笑)
「サポート」という側面だけをみたら、病人に看病人というセットの方が良いです。
ところが、一人が快適な人の場合だと、一人じゃない=ストレスになるので、個室以外で入院も無理です。
家事がしんどくても、他に迷惑かける人がいないので、数日分溜まっても、自分のペースでやれば良いですし。
誰かがそばにいてくれる安心感、みたいなものは求めてないのかなぁと思います。
そういうのは、小さい頃に十分やってもらったし。手術の前、麻酔が効く直前まで親の顔がすぐそこにあって、麻酔が切れたら目の前にいた。
どうせ治るんだったら、早く治して元気な姿で会ったほうが楽しいし。😬
私の目に見えない細胞たちが、すごく大忙しになっちゃったから、一緒にゆっくり戻っていこう。
「厄年とは、こういうことか。」
Good night.
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