四十九日の法要があり、家族で集まりました。
家族や親戚一同で集まるという風習が殆どない環境で育った私にとって、
親戚と集まること=形式的なものという偏見がありました。
「one of them」で振る舞う場ほど、かったるいものはありません。
供養の場ですから、ある程度はフォーマルに振る舞いつつも、
いつもと変わらぬスタンスで過ごし続けることができたからか、
めちゃくちゃ楽しかったです。
こんな楽しいなら、年に一度くらいは親戚と会ってもいいかも!とさえ思いました。
納骨の際、私がおばあちゃんの立場だったら
「あんたはあんたでゆっくり休みなね!」
的なお見送りをするんだろうな〜。と思ったんですが、
「ゆっくりいくでね〜」
と、一言。
内心、私にはその発想なかったわぁ・・・
(そもそも一緒にお墓に入る相手もいないしね)
と思うと同時に、
”あの世でも一緒にいたい”と思えるような相手かどうか
は今後、相手を選ぶ際の判断基準になりそうです。
言い方が違うだけで、
万が一の事が起きても、支え合いたいと思うか、
苦しい時も一緒にいたいと思うか、
お金に換えられない、愛しさのようなものがあるかどうか
おそらく女性は、本能的に、そういう観点で相手を選びますよね。
ここまでの人生では、今のところ「結婚の兆し」とは無縁で生きてるような気がしますが、
そういう節目があってもいいかもしれませんね。
#子どもがいない人生
や、
#子どものいる生活
を仮定してみたりして、
行ったり来たりしますが、
偶然の産物すぎて、ちょっとよくわからないので、
誰かとの共同生活にコミットできるのか、
できないのか、と極端に問うてみると
答えを出したくない自分がまだ居りますので、
まだまだ時間はかかるのかもしれません。
予測のできない人生を楽しもう☺️
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