日常が本番

久しぶりに、筋肉を鍛えてあげました。

じわり、じわりと、痛みが襲ってきています。

やりすぎて、眠い。

 

ゆっくりと身体に負荷をかけ、

「きついなぁ、もうやめよ。。。」と心の声が漏れるけど、

「この苦しみのために運動してるんだから、途中でやめてはいけない。。。」と鼓舞して、

集中していたら、なんとか終わりの瞬間を迎えれる。

(だいたい、始めた時から、終わりはもう決まっているんだから。やらないなら始めなければいい。)

 

そして、達成感と爽快感の後に、襲ってくるのが筋肉痛。

運動不足により、反動が大きくてまあまあ痛い。

解放され、自由になったと思ったら、後から身を持って体感するのが筋肉痛。

 

その状態で、書写に行ってきました。

 

同じ漢字を何百回も書きます。

基本点画をずっと書き続け、

「シンプルなのになんでこんなに難しいんだろう」

「少し慣れてくると、気が抜けてきて雑さ、癖が出てしまうからいかん」

「ちょっといい感じになってきた」

「と思いきや、次の漢字に移ると、またあかんわ。。。」

こんなことをずっと頭の中で、考えています。

 

※習う時は、ポジティブなワードを与えないようにしています。

 

相変わらず、習い事の最中は楽しくありません。

 

楽しもうと思っていないし、そういう時間が欲しくて行っています。

 

「あと3回も自分の名前書くなんて!」という反応と、

「回数を重ねるたびに字が整ってきた気がする!いい感じ!」という反応を繰り返し、

「もうこれでオッケー!」とはならないように、常に努力義務の状態を作っています。

 

完璧、正解、ゴールがないことがつらいけれど、それが楽しいです。

 

身体に覚えさせたいことは、何回でも繰り返さないといけませんし。

 

毎日必ず字を書くようになったので、習い事の時間は練習で、じゃあ本番は、日常です。

 

何気ない日常、つまり習得以外の時間は、本番です。

なんてことのない、人との会話、そういうところに全てが出てしまうのが人間です。

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