刹那というか。今、この瞬間、美しい瞬間。

写真を撮る瞬間が増えました。

 

苦手意識を持っているためか、イイ感じに写したい、映えさせたいな〜!!と思ってしまいますが、

写真を撮るときにいつも思い出す言葉が2つあります。

 

(きれいに写そうとかではなくて、)自分が見ているもの、伝えたいものを撮ればいいんだよ

 

カメラのフィルターで見れる世界も素敵だけど、一番優れてるのは人の眼のフィルターだよ。自分の眼から心を通して見てきてね。

 

1つめは、大学生の時。

つまり10年程前に出会った写真家の方が私に伝えてくれた言葉で、とっても印象的でしたので、それから写真を撮る時はいつも思い出しています。今も、自然とその言葉が浮かぶようになっています。

2つめは、今年。

この言葉を私に伝えてくれた方の感性が大好きで、その方が撮る写真、描く絵、紡ぐ言葉、どれも美しいと感じます。

写真を撮ることとか、描くことの才能だったり、美しいものを捉えるセンスだったり、その感性に憧れを抱いていたのだと思いますが、彼の作品を通して、彼が見ている世界を感じるわけではないんだということに気づきました。

 

自分の眼に写っているものは何なのか、何をみているのかについて考えてみます。

 

最近、写真を撮る瞬間に幸せだなぁと感じることがあります。

それは「あ、これ家族に見せてあげたいな」という気持ちが芽生えたから、家族を想って写真をとる、その瞬間。

いつも、あまり連絡をよこさないのに出かけた時には写真を送ってくれる方がいるのですが、これってどういうコミュニケーションなのかなぁ?とさっぱりわからなかったのですが(今でもわからないけど)、もしかしたら同じような気持ちを持ってくれてるのかなぁと気づいたのと、私自身が両親に写真を送ることはプレゼントみたいなものかもしれない、とハッとしました。

今までの私は、両親に対して「生存確認」か「報告」という意味合いで写真の送信や連絡をしていましたので大発見ですよ・・・☺︎

最近は、全国各地の様々な、色とりどりのクリスマスツリーの写真を両親に送っています。

(めんどくさがりなので、文字はなくて写真だけ。笑)

 

それから、「あー、今、幸せだなぁ」と思った瞬間にみているものを写真に残すこと、をするようになりました。

美しさを感じることと、心が幸せだなぁと感じるのは必ずしも一致しないし、写真を撮ることの定義や概念も人によって違って良くて、人の数だけ思想はあっていいのになぁと思います。

大切なのは、何を大切と感じるか、自分の心に向き合うことと、自分の哲学を持つことかなと。

 

まあ、写真に残さなくても、記憶には残っているのでしょうけど。

 

今年、私にとっての刹那を最も表現した一枚です。

Have a good day🎄

1 個のコメント

  • コメントを残す