文字を書き留める意味について、ふと考える事があります。
現在進行しているノートの存在が気になって仕方がないし、
最終ページまで書いたノートの存在に対してすら、
ただ文字が埋め尽くされているだけでは、
何が完了されているのかよくわからないし、
さては、もしや、何の意味もないんじゃないかと思います・・・
ノートを開くタイミングは大体決まっていて、
朝起きた直後、あるいは、帰宅した直後です。
振り返りのためのノートと決めているものには、未来のことは一才書きません。
で、その「過去ノートくん」のコレクションは、同じメーカーから様々なラインナップが出ているので、ラインを変えながら使い続けています。
今は、プランナーシリーズのノートを使っていて、3冊目に突入しましたが、
ぶっちゃけ、飽きています。
(本当は、使い始めた時からなんか嫌だった。笑)
飽きてきたものに対して、粘るのは、意地以外の何があるんでしょうか。
終焉を迎える前の恋愛のようで、だらだらと続けるのはやめようかと思います。
ノートやメモは、タイプカプセルにして、一定期間を過ぎてから掘り起こすと、
忘れていた記憶や思い出を呼び戻すことができて、自己理解が深まります。
はたまた、本当にこれは自己なのだろうか、とも思いませんか。
そうやって、過去はどんどん忘れていって、(私は、人一倍忘れるので)
新しい自分に生まれ変わっていくよね。
私はそう思います。
忘れる、といっても、どこかに貯蔵されていて、突然思い出すことってあるし、
それでいいんじゃないかと思います。
最近、ど忘れする事が増えましたが、別の話で繋ぎながら、メモリを引っ張ってこれば思い出せるし、脳の衰えを遅くしてくれる気がします。
大して急ぐ必要のない記憶は、諦めずにシナプスの結合を待つに限る!
生きている間にしか、できないこと。
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